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エトセトラ vol.6 スポーツとジェンダー

¥1,430 税込

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スポーツはジェンダーと切り離せない。
スポーツは「男らしさ」の規範を強化し、「女らしさ」を監視してきた一方で、
ジェンダー規範に揺さぶりをかけてきた。

フェミニズムの視点で捉えなおして、
スポーツや運動をいま、私たちの身体に取り戻そう。

フェミニズムを身近なテーマから考えるマガジン「エトセトラ」6号目が取り上げるのは、「スポーツ」。スポーツとジェンダー・セクシュアリティ研究の井谷聡子責任編集のもと、読者アンケート、論考・エッセイ、スポーツ史年表、多様なインタビューで構成。


目次

特集:ジェンダーとスポーツ

はじめに 

【エッセイ】
松田青子「ようやく気づけた」 
キム・ホンビ「私たちのグラウンドを広く使う方法」(小山内園子 訳)
津村記久子「スタジアムの女の人たち」 

【読者アンケート】
スポーツ・運動と私たちの関係

【ジェンダーでスポーツを考える】
井谷惠子「『体育嫌い』とジェンダー・ポリティクス」 
熊安貴美江「スポーツが内包するハラスメント、暴力」
(インタビュー)飛騨シューレ・山田ゆかり「スポーツとの関係を変えるために、子どもたちと一緒に場所をつくる 」
(レポート)小川たまか「女性のための護身プログラム『Wen-Do』を体験する」
小林美香「五輪広告の女神たち 『美しさ』と『強さの表象』」
小林直美「オリンピックニュースをジェンダー・センシティブに――報道内容と報道される選手の権利―― 」

【年表】
ジェンダー視点でふりかえる女性スポーツ・体育この100年(作成:小石原美保)
【エッセイ】
伊藤春奈(花束書房)「スポーツに自由を見た女性たち――『強さ』を入り口に」
【インタビュー】
今日和「女子相撲を広げるために、やりたいこと」

【スポーツと生きる】
ケイト・シルベスター「強い絆と集団的沈黙:女性にとっての剣道の矛盾」(高井詩穂 訳)
水野英莉「サーフィンが自由な身体文化であるために」
関めぐみ「私が『女子マネージャー』を研究する理由」
井谷聡子「東京2020とトランス選手と」
(インタビュー)サヴォイ・“カパウ!”・ハウ「トランスジェンダーも、共に安心できるボクシングジムができるまで」

特集のおわりに 

【連載】
編集長フェミ日記   2021年7月~9月/井谷聡子
ここは女を入れない国  第4回山と女人禁制(前編)/伊藤春奈(花束書房)
Who is she?  第4回花をもって立つ彼女/大橋由香子 
ふぇみで大丈夫 vol.2 スガ・バッハの行いを精神障害者に押し付けるな/ナガノハル
LAST TIME WE MET 彼女たちが見ていた風景 vol.6/宇壽山貴久子
私のフェミアイテム 06 Nami Sato
NOW THIS ACTIVIST vol.5 長位鈴子
etcbookshop通信

【寄稿】
いちむらみさこ「オリンピック・パラリンピックに対する女性たちの抵抗」
岩間香純「ラステシスと私たち:現代のアクティビズムが繋ぐ痛みのコミュニティー」
【フェミリポート】
高柳聡子「ロシア、もうひとつのエピデミック」


前書きなど

はじめに     井谷聡子

なぜ自分の身体と「いい関係」を築くのがこれほど難しいのだろう。その関係に、社会における性の不平等がどう関っているのだろう。

世の中に一つとして全く同じ身体は存在せず、全く同じ女も男もいない。なのになぜか私たちは、イメージとしてしか存在しない「理想の女や男」にできる限り近づくように、生活のあらゆる場面で身体のカタチや使い方、動かし方を陰に陽に指示され、方向づけられ、強制される。泥だらけになってもいいから思い切り体を動かしたいのに、遠くに行ってみたいのに、「女の子なのだから」と制限され、自分の身体と周囲の環境との関係まで萎縮させられてしまう。木に登ったら怪我するから。夜一人で歩くのは危険だよ。女の子なのにサッカーなんて。

私の人生において、体を大きくダイナミックに使うこと、大声を出して駆け回り、仲間に励まされながら身体技能を磨くことはとても大切だった。「女らしい」異性愛のシス女性であることを求める社会に対する劣等感や憤り、自分らしさを隠し、押し殺し続ける苦痛。放っておいたらドロドロしたエネルギーが体のあちこちに溜まっていって、息を詰まらせる。

そんなとき、思いっきり体を動かして風を切って走るうち、吐き出した息と吹き出した汗の分だけドロドロしたものが発散されるような、爽快な気分になる。ジェンダー・クィアである自分の存在が社会のタブーだと知ったとき、自分にスポーツがあってよかったと思う。タブー化された自己という存在とポジティブに繋がれる唯一の時間が、運動やスポーツをする時間だったから。

私には一つ上の兄がいる。両親は私たちふたりに平等に運動やスポーツの機会を与えてくれた。兄が野球を始めたとき、左利きの私のために当時は貴重だった右手にはめる子供用グローブを買ってきてくれた。女の子なのに、と私のわんぱくぶりを責めることもなかったし、スカートを強制することもなかった。後に理解したのだが、体育教師をしていた私の母はフェミニストだった。

けれども、そのスポーツの場が常に皆に開かれているわけではないことを理解するのにそう時間はかからなかった。兄が入った地元の「少年」野球クラブに私は入れなかった。代わりに女子がもう一人だけいたサッカー部に入ったけれど、監督やチームメイトからも無視され、やめてしまった。中学になると、体育がパワハラ・セクハラだらけで、それが許せなかった私は体育教師と激しく衝突し、「問題児」に。体操服はブルマで、女子はダンス、男子は柔道。体育に対する不満が鬱積した。高校になると、部活動の費用が高いから続けられない友達が出てきた。筋肉をつけたくないからとスポーツをやめる友達がいた。こうでない体育やスポーツは可能なはずだ。運動そのものが嫌いな人もいるだろうけれど、運動自体は好きなのに、外的な要因で続けられない人がこれほどいるのはおかしい。強制されるのもおかしい。こんなフラストレーションとともに、異なるかたちの体育・スポーツとの出会いを求め、2001年、高校卒業と同時にアメリカへ。とっくにパワハラ・セクハラの巣窟、体育教官室を脱出していた母は、この年スポーツとジェンダーに関する学会の立ち上げメンバーになった。

今私は、「スポーツとジェンダー研究」という学問に携わっている。研究領域としてはマイナーだ。でも、ジェンダーに基づいた差別がどう生み出され、維持されるのか、小さく、狭く、弱く、と存在の幅を狭められ、その価値を貶められてきた「女」という存在を、その身体に付与された意味から開放する上で、スポーツとジェンダー研究が提供する視座は重要であると思うのだ。生まれつき男女には差があって、女性は劣っているというジェンダーイデオロギーを構築し、強化するために、スポーツがどのように利用されるのか。このようなイデオロギーがスポーツメディアの表現にどのように組み込まれているのか、様々なスポーツ実践を通して身体がどのようにジェンダー化されるのか。「男らしさのアリーナ」と称されるスポーツの世界は、ジェンダー秩序に抵抗し、フェミニズムの実践の場となりうるのか。こうした運動する身体に関する様々な問いを、スポーツとジェンダー研究は探求してきた。

身体ある存在として生きることは、常にその身体に付与される意味と交渉を重ねるプロセスでもある。女、男という特定の性分化の特徴を持つことで、自分の存在全体の意味を他者がどんどん書き込んでくる。女、男、強い、弱い、女らしくない、女はここにいてはいけない、お前は女ではない。こうした意味は、社会に存在する価値観や語りを引用しながら自分で付与するものであるし、他者から付与されるものでもある。同時に、他者が否定できない自己の内側から湧き上がってくる感覚でもある。私たちはこれらの意味や感覚と折衝しながら、自分とは何者かを徐々に把握し構成し、そのプロセスは生涯続く。社会が常に変化するように、私たちの身体も、それとの関係性も変わり続ける。
 
We are always becoming.

人生の長く時には辛い旅路の中で、自分の身体といい関係を築きたい。痛ければ、疲労していれば休養と栄養を与え、もやもやしていたらウーンと伸ばし、思い切り動かし、時には静かに瞑想する。自分の心と体、自然の音に耳を澄ませ、それらと心地よく繋がって、引き裂かれていない一つの存在として感じられる瞬間には、ほっと笑顔になる。スポーツや運動、アウトドア活動は、そんな場になれるはずだと思う。そのやり方に、あり方に、女だから、男だから、レズビアンだから、トランスだからと、他人からとやかく言われたくない。公園や広場や自然が、家父長制や資本主義、国やエリートたちの思惑によって「スポーツ」の名の下に奪われるのは許せない。今とは違うやり方があるはずだ。

オリンピックが色々なものを奪っていったこの年に、この1冊を送り出せることを嬉しく思う。

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