こちらのウェブストアは運営停止しています。
購入は新ストア(以下のボタンをクリック)よりお願いします。
*Tシャツなどのグッズはこちらで購入可能です。
在日朝鮮人作家 尹紫遠未刊行作品選集
¥2,200 税込
SOLD OUT
別途送料がかかります。送料を確認する
1942年、朝鮮人初の短歌集を刊行した人物でありながら、その存在は今ではほとんど忘れ去られている朝鮮人作家、尹紫遠(ユンジャウォン、1911-1964)。
1946年夏に発生した南朝鮮でのコレラの流行により強化された連合軍と日本による朝鮮人管理・海洋警備を背景に、玄海灘を命懸けで渡る人々を描いた長編「密航者の群」に加え、米占領下の東京であまれた詩、「解放」後の釜山で引きあげ家族が直面する厳しい現実を描いた「嵐」、1949年東京で「パンパン」に中古ストッキングを売る夫と生活のため売血する妻を描いた自伝的要素の強い「人工栄養」など、未刊行の重要作品5つをあつめた作品選集を刊行。
目次
一.「焼跡」(一九四六年/一九四七年)
二.「大同江(その一)」(一九四七年)
三.「嵐」(一九四七年)
四.「人工栄養」(一九五九年)
五.「密航者の群」(一九六〇-一九六一年)
解説 狂濤の時代に二つの国境をこえて 宋恵媛
未収録の作品
尹紫遠作品一覧
著者プロフィール
尹紫遠 (ユンジャウォン) (著/文)
尹紫遠(本名:尹徳祚:ゆんとくちょ)
1911年、朝鮮半島蔚山に生まれる。幼い時に朝鮮総督府の土地調査事業により一家は土地を失う。書堂(漢文を中心とした私塾)と植民地下の初等教育を受ける。13歳の時、長兄を頼り単身横浜へ。1942年の時に自伝的短歌集『月陰山』を刊行。徴用を逃れるため1944年に朝鮮半島北部へ(現在の北朝鮮、松林市)。日本軍の武装解除のため米ソ軍の分割占領ラインとして引かれた38度線をこえ、南朝鮮へ移動。「解放」後の混乱する南朝鮮を目の当たりにし、同時代の多くの朝鮮人がそうしたように日本への再渡航を決意。1946年に蔚山から日本へ「密航」。山口県にたどり着く。戦後日本で小説家を志す。1947年5月、金達寿、 金元基、李殷直らとともに在日本朝鮮文学者会を結成し短期間であるが責任者を務める。東京にて朝鮮国際タイムス社勤務、行商などを経て、クリーニング店を妻と経営。戦後の著書に『38度線』(早川書房、1950年)がある。日韓国交樹立の前年、戦後は一度も故郷の土を踏むことなく、1964年に死去。
宋恵媛 (ソンヘウォン) (解説)
博士(学術)。著書に『「在日朝鮮人文学史」のために──声なき声のポリフォニー』(岩波書店、2014年/ ソミョン出版[韓国]、2019年)、編著に『在日朝鮮女性作品集』(緑蔭書房、2014 年)、『在日朝鮮人文学資料集』(緑蔭書房、2016年)等、訳書にキースプラット著『朝鮮文化史──歴史の幕開けから現代まで』(人文書院、2018年)がある。
宋恵媛 (ソンヘウォン) (解説)
博士(学術)。著書に『「在日朝鮮人文学史」のために──声なき声のポリフォニー』(岩波書店、2014年/ ソミョン出版[韓国]、2019年)、編著に『在日朝鮮女性作品集』(緑蔭書房、2014 年)、『在日朝鮮人文学資料集』(緑蔭書房、2016年)等、訳書にキースプラット著『朝鮮文化史──歴史の幕開けから現代まで』(人文書院、2018年)がある。
-
レビュー
(0)
-
送料・配送方法について
-
お支払い方法について
¥2,200 税込
SOLD OUT